deep-blue00’s blog

ゆるさ、模索中。

情けは人の為ならず、の解釈について

自分なりのその後の考察メモ。(覚え書き)
例によって、ちょっと暗めです。
以下、本文。











「情けは人の為ならず」という言葉がある。



私はこの言葉を「情けをかけるのは相手のためではなく、自分のためである」という部分までは認識していたけれど、その深い意味合いについては


「情けをかけるのは相手のためではなく、実際にはそうしたいと思う自分の為。つまり、自分の自己満足を満たすための行動であるため、一見すると相手のためであるかのように見えるが、実のところそうではない」という違う解釈をしていた。(そしてそれは現在進行形。)



※本来の意味は「人に情けを掛けておくと、巡り巡って結局は自分のためになるんだよ」という意味の言葉。




ちなみにこの言葉を認識し、この『自己責任』的な解釈をしたのは私が高校生の時で。


その頃の私は「何でも全部、すべてのことを自分でやらないといけない。そしてやったことに対する責任は全て、自分自身で負わなければならない。失敗は許されない」というようなプレッシャーまみれな思考だったことを思い出した。
…なんとも自分らしい、堅い解釈だ(笑)






未成年のくせに、いっちょ前に(笑)
(そもそも高校生が自分で負える責任なんて、たかが知れてるし。)



…まったく。
もっと気楽でいいのに、と。








過去の自分に対し、そう思って。
思わず笑った。

そしてふと、それは今の自分にも言えることだなと思った。





例の件。
あのときの自分の考え方は。ざっくり表現すると


『相手のために、と思って自分は行動を起こした。けれど、相手がまだそれを(恐らく)受け入れられる状態ではなく。(まぁ、相手からの話し合いを拒否した時点で、それは私もか。)
自分なりに「かけたつもりの」情けや優しさを、相手に拒絶されたことで、裏切られたように感じた』のだ。



だから、ショックだった。
(こうして文字に書き起こしてみると、かなり独りよがりな考え方で恥ずかしい)






けれど。
自分の考え方が高校生の時の考え方の通りであれば。
例の件を見ていたら、当時の私はこう言うはず。


『自分は自分がやりたいと思ったことを、自分の自己満足のためにやった。つまりソレは「自分自身で選び取った行動」で、あなたの勝手でしょ。それを"相手のためを想って"って言うとか…え、ソレ、正気??』


…絶っっ対、鼻で笑われてる。
高校生に。





高校生の頃の自分はもっと完璧主義で、白黒はっきりさせたい派だった。
同時に他の人に対して、今の私よりももっと同情的だった。


今の自分はもう少し自分に甘く。
同時に、白でも黒でもないものがあることも、認識はしている。(柔軟性が増したというか、打算的になったというか…(笑))
再度考えた解釈は今の私なりには、こうなった。



『相手のために、と思ってやった事だけど。それはあくまで、本当は自分自身の自己満足を満たすためのもので。
たくさんあった選択肢の中から自らの手で選び取った、任意の行動。

そして、相手が自分が差し出した『ソレ』を、受け取るか否か。
受け取ったとして、それをどう解釈するか。

それもまた、相手が自らの手で選び取った任意のものであり。
それについて、私は強制やコントロールすることはできないし、しようとすべきではない。
またその結果に、肩を落とす必要もない。相手は相手、自分は自分なのだから。』



私は時折、相手に深入りしすぎる。
基本はドライだけれど、自分の中のある基準の一定値を超えた人には特にそうなりやすい傾向にある。
(まるで自分ごとのように(時にはそれ以上に)考え、感じたりする点から同一視しすぎる、という表現の方が適切か。)


その辺を考慮すると、これくらいの考え方(相手との距離感)のほうが、今の私には適してるのかなぁと思ったりもした。


相手への伝わり方に誤解がないようにする伝え方や、逆に相手の話の受けとめ方を含め、色々と配慮する努力ももちろん大事だけれども、
自身の感情や、決して短くない時間を犠牲にしてまで相手に尽くす必要はないな、と。


なぜなら、私の懐は、残念なことにそう深くはないので。
相手の全てを受け容れることも、相手を相手にとって正しい道へと導くことも、自分が未熟すぎてまぁ無理がある。(自分がエゴ満載な人だから、それをやろうとしたらきっと自分に近い解釈の方へ誘導してまう。)


昔はカウンセリングについての本なんかもあれこれ読み漁ったりして自分なりに努力はしていたつもりだったけど、
今は他の人のそういった事柄に時間を割くよりも、現在の自分をより良く変えていくためにもっと様々なことに向き合ったり経験したりすることのほうが、今の未熟な私には必要なことなんだろうなと。


だからこういう系の問題については、ちょっと引いた視点を持って『まぁ、相手は相手、自分は自分』と、そこそこのところで線引きして割り切る必要が、私にはあるんだろうなと。


つい真剣に考えすぎて、似たようなことで毎回沼にハマってる自分に対してそう思った。

橋の上で朝ごはん。

先日の土曜日、旦那さんとおでかけしてきました。
目的地は、ダム湖に注ぐ渓流。


車を走らせていたところ、ダム湖の入り口付近で思わぬ歓迎を受けました。

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のんびり。

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さらに車を走らせ、目的地付近に到着。
車を停めて、そこから林道を徒歩で進みます。
ちなみに今回の目的はいつもと同様、渓流散策兼、野鳥観察兼、ピクニック(笑)


林道の脇には、初夏の花。
流れ星みたい…(*´∀`*)

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お腹が空いてきたので林道の脇にあった橋の上で、持ってきたおにぎりなどを広げ、朝ごはんにすることに。(※現在、車両通行止め)
「橋の上で朝ごはんなんて、人生初めてだ」と笑う旦那さんと一緒にもぐもぐしていると、どこからかオオルリのさえずりが。


あたりをキョロキョロしていると…

いた。


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今いる橋の向こうにある、小さな山のてっぺん付近にある、その木のさらにてっぺん。

遠い(涙)



遠くてきれいには撮れなかったけど、そのぶん警戒の範囲外だったようで。
おかげでオオルリのさえずりを聞つつ眺めながら食事をする、という贅沢な朝ごはんが実現。

一足早く食べ終わった旦那さんは、そのまま寝転がって双眼鏡を片手にオオルリ観察。


しばらくして旦那さんが、ポツリ。
オオルリってさ…ダヴっぽいよね…」

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私「え…(*´∀`*)」

本当に鳥好きの発言だろうかと疑問になったひとことでした(笑)



食べ終わってしばらくしてオオルリさんが去ると、こちらも散策を再開。
ここの渓流でも水辺でミソサザイがさえずっていました。


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すぐ横を流れる渓流の音を聞きながら、緩やかな登り坂をのんびり、さらにのぼっていく。


初夏に水辺の近くでよく見る木の花…。

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たまに降りれそうなところを見つけては水辺に降り、水に手を入れてちゃぷちゃぷ
めっちゃ冷たい…。

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深くて流れが激しいところもありましたが、流れがゆるやかで浅いところもあったので、夏なんかは水遊びしたら楽しそう(*´ω`*)


鳥のさえずりと渓流のせせらぎが響く、静かでとても気持ちのいいところでした。

またお邪魔したいと思います(*´ω`*)✨