エゴと意思表示 ※閲覧に注意が必要な記事
ちょい色々とあって。
話をしてきた。
なんというか。
その人は「あなたがそうしたいのであれば、私もそうします」みたいな返答が多く。
あなたの意見を聞きたい、どう思っているのか、ということを尋ねられても、(自分が好意を抱いている相手に対して)反対意見を述べるのが恐くて、相手の意に合わせた返事をして。
でも結局、その発言は自分の真意じゃないから、葛藤が生まれて。
その話し合いをして、お互いに合意のもと、でた結論の事象が実際に発生した際、自身、合意したはずのことなのに、態度などであからさまに「私は嫌」という意志を表現してくるケースが非常に多く。
共通の友人を、たびたび困らせていた。
今回の件は、その友人からの依頼で。
相手の様子をうかがいながら徐々に深堀りしていって。
意見を少しずつ聞いていったのですが。
自分の責任が問われるような部分には「そうなることに、気付きませんでした。」「そこまで考えることができていませんでした」と言って回避し。
一旦自身が合意したのに、その事柄について矛盾した態度をとっていることに対しては「だって、相手の意見がこうだと思ったので、それなら私が我慢するべきだろうな、と思ったので、言えなかったんです」と言い。
(素直に話してくれている相手を目の前にしながら、失礼だとは思いましたが・・)
結局、この人は自分の言動に責任を負うことをしようとしない人なんだな、と思ってしまった、というのが、私の率直な感想でした。
人の意見を尊重するのは、確かに大事だけれども。
でも、本当に自分にとって大切な相手であるのなら、
例え対立する意見であったとしても、相手を信頼して自分の意見を述べて。
お互いにとっての最良の選択をするべきなんじゃない?
自分の真意を伝えない、ということは、向き合って話してくれている相手に対して、とっても失礼なことじゃないだろうか?
もし例え偽りだったとしても、本当に相手の為を思って自ら「それでいい」と答えを出したのであれば。
それは自身で突き通すべきなんじゃない??
そんな話を、してきました。
・・本当は、話を聞くだけで済まそうと思っていました。
第三者である私がこんな話をするのは果たしてどうなんだろうかと、正直思っていましたし。
でも、話の中で、この方にとって、私の友人は非常に大切な相手であるという思いは、すごく伝わってきていたので。
気付いたら、そんな話をしていました。
この道は、私自身、通ってきた道で。
(状況によっては、今後も通る可能性が大いにある道で)
そして対応に苦慮している友人(以下、彼女)もまた、同じように通ってきた道で。
私は、彼女が過去にその道を通る際、ともに考えながら、すぐ傍らで、苦悩する彼女を見ていました。
私と彼女はこの道を、どう捉え、解釈して、どう通ってきたんだろう。
過去を振り返りながら、考ていました。
相手に自分の気持ちを伝える、っていうのは、自分の気持ちと向き合うことでもあり。
もちろん相手と向き合うことであり。
そして。
自分が抱えている、自分のその気持ちの根底にある、エゴとも向き合ことなんだろう。
自分自身の、ドロドロとした、目を伏せてしまいたい部分。
だから言いたくないし、見せたくもないし。
かと言って、エゴをエゴのまま相手に伝えると、重しにしかならないし。
・・だから、言わずに我慢するのか。
それとも。
自分が大切に想っている相手と、そしてその相手が大切に想ってくれている自分、その双方のために、そのエゴをどう受け止めて、分析・解釈して、消化し、自分自身、納得のいく形にして、相手に伝える、という方法をとるのか。
・・エゴを一人で抱えるのは、とてつもなく苦しい。
自分の問題なのだから、自分で抱えるのは、ある種当たり前のことなんだろうけれども。
でも。
打ち明けられたらどんなに楽か。
でも拒絶されるのが恐い。
絶対に受け入れてもらえないだろう。
自分自身、そんな自分を受け入れたくない。認めたくない。
もし打ち明けたとして。
相手がそれを万が一、受け入れてくれると、言ったとして。
それはどれほど、相手に負担をかけることになるだろう。
大切な相手にそれだけの負担を強いる自分に、嫌気がさし、罪の意識にさいなまれる。
「なんで私は、こうなんだろう」と。
エゴは、放置するにしても向き合うにしても、どちらの作業も、とてもツラい。
でも。
相手を理解したい、受け入れたいと思うのなら。
やっぱりそれは、まずは自分自身を受け入れられないと、相手を本当に理解したり受け入れたりってことは
できないんじゃないかな、と。
そんなことを、思いつつ。
もう一度、自分の、今現在。
私が大切に思う相手に対して、私はきちんと、自分の意志とも相手とも、自分のエゴとも、向き合って話ができているだろうか。
相手はそれに、きちんと向き合って、応えてくれているのだろうか。
・・向き合う意志がない相手に対して、向き合って話をするということは、
それだけ相手に負担をかけることに、違いないということを
今回の話の中で、感じたから。
それならいっそ、
向き合わずに話をするのがお互いのためなんだろう。
・・”奴”は、どうなんだろう。
自分自身の考えを、色々と見つめながら、私がよく向き合って話をしている相手の事を、ふと考えました。
奴にとって、私は向き合うほどの価値がある人間だろうか。
私が向き合って話をすることで、私は奴を苦しめてはいないだろうか。
・・そんなことを、一人、考えた夜でした。