大切だった相手。
私が、大切にしてきた子がいる。
プライドが高く、ちょっと自信過剰で。照れ屋。
でも照れてるのを悟られるのがカッコ悪いと思っているフシがあって、照れ隠しで鼻で笑ったり、人からもらった誉め言葉を「そんなのできて当たり前」と軽くあしらったり。
劣等感の裏返しなのか、自分を認めてもらいたいが故か、対比で人を見下したような発言をして他の人を傷つけたり、不愉快な思いをさせたり。。
でも根はすごく真っすぐで、繊細で。傷つきやすい。
気持ちを裏返したその言葉は、たびたび私の心を傷つけた。
近しい分だけ、私に向けられる言葉は多く、また他の人に向けられるそれよりも、粗削りだった。
それでも。
その根底にある感情が「信頼」であり。
嘘偽りなく、真っすぐにこちらを見ているからこその、言葉であることが無骨ながらもきちんと私に伝わってきていたから。
私は長い間、その子の傍にいた。
私の親友は、たびたび私を傷つけるその子を見て、時に怒り、時に涙した。
「なんであの子は、大切なあなたに対して、あんな言葉を平気で投げつけられるのか」「なぜあなたは言葉を返さないんだ」と。
私は困ったように笑って「しかたない。子供なんだ、あの子は。」と、いつもそう返していた。
私の注意の仕方が悪いのか。
私からの指摘は、素直に受け入れられない子だった。
自分というものを、否定、もしくは拒絶されたことに対する悲しみだろうか。
指摘されたことに対して、うるさそうに振り払ったり、怒りの感情をぶつけてくることも少なくはなかった。
親友は「それはあなたに甘えているからだ。あなたが絶対に裏切らない、自分を見捨てない存在だと、信じているからだ」と、そう言っていた。
それが正しい見方なのかはわからず、私は「どうだろうね」と笑っていた。
大切に想っているからこそ、理解し、直してほしい。そう思って伝えた言葉を、そうして容易く足蹴にする子が、私の事を大切に想っていると言われたとしても、そのままそれを真実として受け入れることは、私にはできなかった。
私とその子の関係を憂いた親友はしばらくして「その子と友達になってもいいだろうか?」と私に申し出た。
「私の友人」というポジションで同席することはあったものの、積極的な接触はしていなかった。
私よりも年下ではあったが、彼女には人の心を観察・分析する力と、それを相手のレベルに応じてわかりやすく伝えられるだけの表現力があった。
それを活かして、私がその子に伝えた言葉の意味を、きちんと受け止め、理解し、その子が直していけるように、懸け橋になりたい、と申し出た。
私は当初、その申し出に難色を示した。
親しくなればなるほど、私と同様の言葉を、向けられることになるから。
親友に、そんな思いをさせたくなかった。
それでも彼女は、譲らなかった。
せっかくあの子のためを想って伝えた言葉が、あの子の胸にきちんと届かず、ただ単に傷つけただけで終わるのは、あまりにも悲しい。
あのまま成長していくのは、あの子のためにもならないし、何より親友の役に立ちたいんだ、と。
親友のその熱意に負けて、私が折れた。
私が注意し、その子がふてくされて、親友が後でそれを優しく諭す。
そんな関係が続いた。
・・私が難色を示していたのは、本当は他にも理由があった。
元々、私とその子は、パートナー関係にあった。
口でいくら悪く言っていても「オレのパートナーは、アンタ以外には居ない」と。よくそう漏らしていた。
「よく言うよ」といって私は笑っていたけれど、その言葉に、嘘偽りがないことは明確だった。
けれど。
親友と接触していくにつれ、その子の私に対する言動に陰りが見えてきた。
その子のその言動が、その子が想いを寄せる対象の相手が、私から他に移ろっていることを指し示していた。
それでも口では変わらず「アンタがパートナーだ」と言ってくる。
その子が言い出さない以上、私がそれを無下に否定することはできなかった。
確信はあっても、明確な「証拠」と呼べるものが無かった。
・・この子が口でそう言うのであれば、それを真実と受け止めるべきなんだろう。
そう思って、見て見ぬふりを続けてきた。
三人で話をすれば、親しくなった親友に向けられる、その子の粗削りな言葉を私が目の当たりにする。
自分に向けられる言葉なら我慢できる。「こういう子だから」と目をつぶることができる。
けれど、大切な親友を傷つける言葉なら、話は別。
怒りと悲しみが混じる。
それを私が指摘すればその子は私に対して反発し、それを後で親友が優しく諭す。
・・その子の心がどこへ傾いていくかは、明白だった。
色々なことがあって。
私はその子とのパートナーを解消することになった。
私の捨て台詞は「悪いけど、君に付き合うことにもう疲れた。私は他とパートナーを組む。・・私のかつてのパートナーはもう、どこにも居ない」だった。
本心を言うなら、100%私が望んで決断したことではなかった。
それでもその選択肢を選び取ったのは他でもない私自身で。
その際、あえて傷つける表現を選んだのも、他でもない私自身だった。
この子の心の移ろいを理由にすることもできた。
確証はなくても、確信があり。
そこを的確に突けば、隠し通せるような子ではなかったから。
それでも、私の事を最後まで「自分のパートナーだ」と言い続けた、この子の言葉を信じたいという気持ちが、私の中でどこかに残っていたのかもしれない。
「そうか。・・今までありがとうな。相方。」
長い沈黙の後、そう言い放って奴は、一方的に電話を切った。
こうして、長かった私とその子とのパートナーの関係に、幕が降りた。
・・私が最後に伝えたかった、その言葉と対になる言葉だけを残して。