deep-blue00’s blog

ゆるさ、模索中。

オンラインゲームで知り合った旦那さん。

「物事を選択するとき、自分の直感を信じきれなくて後悔することがちょいちょいある」車に乗っているとき、旦那さんにそんな話をした。

私は何か行動や選択をするとき、理屈から入りたがる。直感に理屈がうまく結びつけられない場合、直感でない無難な選択肢を選び、結果失敗してしまう。そんなことが少なくない。それを聞いた旦那さんは「オレは思い立ったら即行動だからなぁ。とりあえずやってみて、失敗したらそん時にまた考えればいいや。って思ってる」と笑った。旦那さんはそういう部分において、私とは正反対の性質を持っている。頭の回転・行動が私よりもずっと速いのは、その積み重ねなんじゃないだろうかとたまに考える。(考えていてもなかなかマネできないのだけれど)

「オレを旦那に選んだのは直感?」やや茶化すような言い方で、そう尋ねられた。話がマイナスに進みにくい質問。適切な判断だなと思った。私はかぶりを振って「ううん。直感じゃない。確信。」と短く、でもはっきりと返した。「ほぅ?」興味深げに言って「どういうところで確信したの?」と尋ね返してきた。私は「『約束をしない理由。』それを聞いて、確信した」と返した。


私と旦那さんはもともと、オンラインゲームの中で知り合った。当時はまだ、ゲーム内にいる私の友人のうちのひとりであった旦那さんは、前もって誰かと遊ぶ約束、というものをしない人であった。正直、私は『約束をしない』という人に対して偏見があった。約束をしない人というのはつまり、人との約束を守れない人、悪い言い方をすると『約束を守れないから、約束することができない人』という認識であったからだ。けれど、彼(のちの旦那さん)は周囲にいる人を大切にする人であった。パッと見は素っ気ない、またはテキトウな印象を与えるような発言を周囲にすることがたびたびあったけれど、普段の言葉選びには相手の意見を尊重したり、思いやったり、サポートしたりする配慮がいつもさり気なく、散りばめられていた。

なぜそんなことをできるような人が、人との約束をしないのだろう。私の中でその2つの事柄はかなり矛盾する内容で。不思議でたまらなかった。親しくなってから、二人で遊んでいるときに思いきってその理由を尋ねてみた。彼は「だって、約束すると、お互いにそれを守らなきゃならなくなるでしょ? だから、しないんだよ。だって、面倒くさいじゃん」とヘラヘラしながら言った。先ほども伝えたとおり、彼は彼自身がテキトウな人間であると、意識して装っている部分があった。私は、自分の質問を適当に誤魔化されているような気がして、ちょっとイラッとした。「違いますよね? それは無責任な人が言うセリフです。無責任な人は、こういう場面であんな言い回しや、あんな言葉、使いませんよね。ちゃんと、知りたいんです。」過去の彼の発言を例に出して、そんな風に、ツッコんだ。


彼は「あ〜…。そんなところまで、見てたの?」とバツの悪そうに、ちょっと照れくさそうにしながら言って、今度はきちんと、噛み砕いた説明をしてくれた。「たとえば『▲時から遊びましょう、』って約束をしたとする。いつもお互いに一通りのことが落ち着いて、余裕のある時間帯だから、と。でもその日、たまたま仕事でトラブルがあって、約束のギリギリの時間に帰ってくるようになってしまった。夕飯も食べてないし、家のこともまだ何もできていない。そうなった時、どっちの立場でも、気を遣うでしょ」と。

聞いてて、なるほどな、と思った。「すみません、仕事が押しちゃって夕飯まだ食べれてないんで、今から急いで食べます! 15分だけくださいっ!!」って言える人ばかりでもないし、待ってる側からすると「いやいや、別にゆっくりでいいし。しっかり食べてよ。なんだったら後日でもいいし。」って感じだけど、待たせてる側は申し訳なさすぎてめっちゃバタバタする。なんだったら夕飯も抜くイキオイになる。

彼「あらかじめ約束してなくても、そもそも『メシなんかどうでもいい。メシ食ってて遊ぶ時間が減るくらいなら、遊ぶことを優先したい。メシは後ででも食べられるから』って人も、中にはいると思う。それならそれで、別にいいと思う。その人がそうしたいんだから。でも、約束してて、時間が押しちゃって、だからできない、ってのとは、またハナシが別でしょ?」

当時の私からすると、目からウロコな回答だった。そんな考え方があったのか、と。良い意味で裏切られたのだ。



「えっ。てか、その話、した?? 人に話すようなコトでもないから、あんまりしないんだけどなぁ…。しっかし、よく覚えてるなぁ…」今、となりの運転席でハンドルを握っている旦那さんは、軽く握った左手で口元のあたりをこするような動作をしていた。ちょっぴり照れているようだった。当時は音声での会話だけだったので彼の所作を見ることはできなかったけれど、あの時も、きっとこんな感じだったのだろう。今は画面を通してじゃなく、その人が目の前にいる。フシギな感覚。

今まで色んな選択を間違ってきたりもしたけれど、これは間違いなかったと私が言える、選択のうちの1つ。たまに、今でも信じられないんだけれど、彼が私の、旦那さんなのである。