伝え方とか受け取り方とか。いろいろ考えてみた。
朝、ウェブニュースに並んでいる項目を眺めていて。自分の中で気になる記事があり、読んだ。
けっこう長文の記事。ひととおり読んで、読み終わったときの私の心の感じは、『ほっこり』とか『なるほど』とか。わりとプラスな状態だった。
(読んだ記事は、渡邊裕子さんという方の「日本人はなぜ席を譲らない?」です)
記事に対するコメントが多く寄せられていて、そっちも読んだ。私が記事から受けた印象とは180度違う意見に、かなりビックリした。
あんまりビックリしたので、もう一度(それらのコメントも頭の隅に置いて)記事を読みなおしてみた。すると、確かに『引っ掛かる』ワードが多く目について。今度は一転、モヤモヤする記事になった。
思ったこと。
・私は最初、この記事の『いいトコ』に注目して読んでいたんだなぁ。
・同じ話題でも受け取る相手によってここまで印象が変わるんだなぁ…
ということ。
でも『同じ話題でも〜』っていうのは、過去にもわりとあったなぁと。
(ある人の話を聞いてて私が「へぇええ〜」と感心してる横で、一緒に聞いてた人が「えっ、でもそれってさぁ…」と、ツッコミ入れたりしてて。自分との着眼点の違いにビックリすることがわりとあった)
私は昔からよっぽど、のほほんとしているタイプなのか…(笑)
色々と読んでいて思ったのは「『人の気持ちを察する』っていうことに、疲れている日本人が多いんじゃないかなぁ…」ということ。
空気を読む、とか、察する、とか。
言わなくてもそのくらいわかってほしいっていう傾向、日本にはわりとある気がする。
『できて当たり前』だから、求める側もあえて言わないことが多く。
『できて当たり前』と思っているがゆえに、できてなかったら(人によっては)後々トラブルになることもある。
でも一方で、『できていて褒められる』ということは、あまりない気がする。。
言葉で言い表されない部分を察する。
普段、職場や学校でそういうところにわりと神経をつかって、疲れてて。
だから、そうでない場所(自分との接点が薄い人が多いところ、例のバスとか電車とか)ではそのスイッチがオフになる、とかかなぁ、など考えたり。
じゃあ、どうすれば良いのか。
みんな『察してほしい』ではなく言葉に出して「○○をしてほしい」とか、やってほしいことを具体的に言葉に出して言う、とかかな…?
(でも他の人にも自分と同じようにそうすることを求めるのはちょっと違う気もするし、そもそも相手に何かをして欲しいと、求めるのも抵抗が…とかグダグダ考える/笑)
あれこれ考えて。
まずは、小さなことにも気持ちをこめて「ありがとう」を言えるようになれればいいんじゃないかなぁ。と。
「それをしてもらって、すごく嬉しかった」
「助かったよ〜」
まずはポジティブな気持ちから、相手に自分の気持ちを言葉で伝える練習をして。
もっと気軽な感じで(受け取る側も変に深読みしたりせず)『言葉に出して』気持ちを伝え、コミュニケーションを取れるようになったら
世の中もっと楽しくなるんじゃないかなぁ…とか勝手に思ったりしました。
(疑心暗鬼って、シンドイねん。。)
そんなわけで。
今日は旦那さんが空になったお弁当を持って帰ってきたら「しっかり食べてくれてありがとう!」と言おうと思いました、というハナシです。(長っ)
おわり。
PS.
(アカン、なんだか最終的にくだらんハナシになってもうた…! 長文なのに読んでくださった方、すみませんッ!!)