deep-blue00’s blog

ゆるさ、模索中。

旅立っていった、ものたち

今回の記事は、昨日、自分の中でストンと腑に落ちたことがあって。
気持ちの整理を兼ねて、書きたくなったので、書きます。

暗めな内容(ちょいブラックな幼少期の出来事など)が含まれますので、気分のすぐれない方はブラウザを閉じてくださいね。






幼い頃。
私はよく、仲のよかった友だち2人を家に呼んで遊んでいました。


うちは裕福な家ではなく、むしろ貧乏なほう
(母がよく「我が家の家計は火の車だ!」と言っていたくらい)だったので
高価なおもちゃなどは無かったけれど。

お祭りの出店で手に入れたスーパーボールや
女の子向けのお菓子におまけで付いてくるキラキラしたアクセサリーなんかで、その友だちと遊んでいました。
(そのほとんどは、ばーちゃんや親戚からもらったお年玉で買っていた)


昔から人見知りが激しく、小心者だった私は
集団登校をする同じ地区の子たちにうまく馴染むことができず。
そのことが原因で、色々とあって。
家のまわりや学校など、同じ地区の子たちがいる場所では安心して遊ぶことができませんでした。


でも、一緒に遊んでくれていたその友だちは
『私』という存在を責めることなく、対等に接してくれる
私にとってとてもありがたい、数少ない大切な存在でした。


なので、(当時の私にとって)とっておきの宝物だったアクセサリーやおもちゃで一緒に遊ぶことが、幼い私がその友だちにできる精一杯のおもてなしでした。


友だちをしょっちゅう家に上げていた私ですが、整理整頓は大の苦手で。
家の中はいつも、とっ散らかっていました。
なので物をどこかに紛失する、なんてことは日常茶飯事で。


気付くと、いくつかのおもちゃを紛失。
よく母に「あれっ、××がない。私の××、知らない??」と言っていました。


でも、それらをしまう場所はきちんと決めていたので、妙な違和感を感じていて。
その他にも、少しだけ、感じている違和感があって。
でも、まさかな、って。


ちゃんとしまったはずなのになー、おかしいなー、なんて言いながら探していました。
でも、紛失したそれらは出てくることはなく。
私のおもちゃの数はその後、どんどん減っていき。


ある時、家によく来ていた友だちのうちのひとりと、私の2人だけで下校していたとき。
意を決してその子に「私のおもちゃ、知らない?」と、尋ねてみました。


友だちは一瞬、返答に困っていたようでしたが
「じつは、△△(遊びに来てくれていた、もうひとりの友だち)が、持って帰っていた」と、話してくれました。


その答えは、私が想定していた答えと寸分違わなかったので、さほどダメージはなく。

「そっか。うん。話してくれて、ありがとう」と友だちに言いました。
むしろ、きちんと話してくれたその子のおかげで気持ちがスッキリしました。


「私から、△△に。返すように言おうか…?」

その友だちは、そう言ってくれました。
私はちょっと考えて「ううん。返してほしいと思ったら、そのときに私が直接言うから、大丈夫。」と断りました。



それで、それから…


現在にいたる(笑)



言いませんでした。えぇ。結局。
何度か「言うべきなのかなー」なんて、思ったりもしたけれど。

でも不思議と「返してほしい!」とは、思わなかったんですよね。
わりと、大切にしていた物だったはずなのに。


その子のお家の中での悩みごととかも聞いていたので、その辺も考えると、なんか、責めたりするのもちょっとかわいそうな気がするしなぁ…とかもあったりして。


でもひとつ、気がかりなこともあって。
なくなった物の中に、母からもらった指輪が含まれていたことでした。
そのことが、いちばん気にかかっていて。


しばらくたって、指輪をなくしてしまったことを母に告げると、
母は「…え。そんなの、あげたっけ??」と、キョトンとしておりました。
そんな指輪を自分自身が持っていたことすら、覚えてない様子で(笑)


ちなみに、うちの母はウソをつくのが下手です。
なので、あぁ、これは。素で言ってるな…と(笑)


あげた当人がその事を忘れているくらいなら、とその返答をもらった時点で8割がた、胸のつかえはおりていたのですが。
たま〜にふと、このエピソードを思いだすことがあって。


(まだ何かモヤモヤしてる部分があるのか…??)と、それが物に対する自分の執着心なのか何なのか。
私ってやっぱ、ドロドロしてんだなー、とちょっと自分のそういう面に苦笑いしていたのですが。



昨日の朝、私のブログを訪問してくださる方のブログを拝見していて。
その中で、人と人との不思議なめぐり合わせについて書かれているのをみて。


残りの部分が、私の中でストンと腑に落ちました。
(私の場合、あてはまったキーワードは『めぐり合わせ』の部分でした)



ああ、そっか。
私の手元から旅立っていった、それらのものは。
きっとその子のところに行くために私のところにやって来たんだなぁ、と。
私のところにやって来たのは、その子のところへ行くためだったんだろう、と。


私は、それらのものを手に入れた時点で、喜んで。
大切な友だちとそれを使って、楽しく遊ぶことができて。
それだけでもう充分に満足していた。
その時点ですでに、それらは私のところでの役目を終えていた。

だから、友だちの手に渡っていたことを知ったときも、ショックじゃなかったんだ。
(なくなっていたことに気がついたのも、しばーらくたってからだったし。)

そもそも、「私のもの」じゃなかったんだ。



  なあーんだ(笑)


 
いっきに気持ちが楽になりました。


書き終わって振り返ってみると、内容が低次元すぎるのと、見た方がどう感じるだろうか、とか。
upするかどうか迷いましたが。

最終的には「まぁ、これも含めて私だ。」という部分で、upすることにしました。


長文だったり内容がビミョーに重たかったり、受け取る方によってはスッキリしない(むしろモヤモヤが残る)終わり方だったり。
他にも色々とあるやもしれませんが。

私はそんなふうに思ったという、記録。


こんな話を読んでくださった方がいらっしゃいましたら。
貴重なお時間、ありがとうございました(^^)