deep-blue00’s blog

ゆるさ、模索中。

本を選ぶ。

昨日、久しぶりに図書館に行ってきました。


読んでみたい本があって。
その本がその図書館にあること、
現在貸出中でないことをを事前に調べた上で行ったのですが
結局、別の本を借りてきました。



探していた本はその図書館にちゃんとあって。
実際にその本を見つけて手に取り、目を通してみたのですが

なんだか
読みづらさを感じてしまったのです。


その著者の方は
同じ題材について他にも何冊か本を書かれていて。

近くにその本がいくつか並べられていたので
「他の本は他の書き方がされているかもしれない。それなら読めるかも…!」
そう思って何冊か手に取り、軽く読んでみました。


実際、本によって書き方はかなり違っていました。
色んな読み手の人を想定して
本によって書き方を変えることができる著者の方はスゴいなぁと感心しつつ。

しかし私自身は、それでもなぜか読みづらさを感じてしまい。

1冊読み終えることをイメージできなくて。
結局、その方の本を借りることができませんでした。


それらは私が気になっている事柄について書かれた本で。
それについて学びたいと
借りる気満々で図書館へ出かけた私は
借りれなかった自分自身に、何だかすごくモヤモヤ。


学べることがたくさん書かれていたはずなのに。
読めれば気付きがたくさんあったかも知れないのに。
その機会を自身のすごくつまらない理由で逃してしまった気がして。


それは自分の人としての許容範囲が狭いせいだろうかと。
帰りの車の中で
なんだか少し落胆していました。



一緒に図書館に出かけた旦那さんは
「図書館に行きたい!」と目をキラキラさせて言い出した嫁が
何故か帰りの車で少ししょげているのが気になったようで。
声をかけてきました。


私がそのことについて話をすると
旦那さんは文章の書き方・書き手によって『読みづらい』と感じる文章がある気持ちに大きく共感を示しながら少し考えて

「でも、どんな書き方が読みやすいか、自分がどんな本を好きと感じるか。そういう『好き』っていう自分の気持ちは、大事にして良いんじゃないかなぁ」と返してきました。




その言葉を聞いて。

どんなものを『好き』と感じるか。
それは自分らしさにも、繋がるもので。
だからそこはもっと伸ばした方がいいところなんだな(そりゃそうか)とか


私は私自身を『そのままで良い』と認めようと努力したりしてるけど
でも、やっぱり気付くと
自分の欠点なんかに目がいって
ブルーになってしまう傾向がまだあるんだなぁとか

(自分の好き嫌いを二の次にして)『みんなに平等に』のような
(ある面から見るとはそれは良いことなのかも知れないけれど)一種の八方美人的な面があるんだなぁとか

色々と気付いたり、再認識したりしました。



「せっかく本が好きなんだから、好きな本を読めばいいんだよ。好きじゃない本を読んで、本を嫌いになっちゃったらもったいないでしょ」


運転席でそう笑った旦那さんを見て
まったく、その通りだなぁと思ったりした日でした。

継続と自己承認

昔、よくお邪魔しているブログがあった。
確か、お医者さん?の書かれている
医療関係の小話がときおり登場するブログで。


まぁ、知識としていつか役に立つかも、ということもあったけれど
何よりもその方の目線で書かれた記事が好きで。

その方の過去の記事を読みあさったりしながら
更新を楽しみにしていた。



ある時から、そのブログでは
過去の記事をリメイクして新しい記事としてアップされる事が増えた。


あぁ、お仕事の関係上
きっとご多忙なのだろう。
そう想像しながら
私は応援の意味を込めてポチポチッと、スターを送っていた。



そんなことがしばらく続いたある日。
その方が突然「ブログをやめます」という記事をアップした。


読んでみると、
「最近、過去の記事に修正を加えてアップしていたが、きっと記事にスターを押していく誰ひとりとして、そのことに気付いてはいなかっただろう」そんな旨の文章が書かれていた。



…気付いていたよ。

ポツリとそうつぶやいた。




けれどそのブログ主は、
記事に寄せられたスターの数を
きっとそう受け取ってはいなかったのだと
私はその時に気づいて。

とても複雑な気持ちになった。




他己承認としてスターやブックマーク、読者登録を欲っする人はきっと多いだろう。



けれどそれらが増えすぎたとき。
ふと立ち止まったとき。

その意味をあらためて考え、
疑問に感じる人もきっといるのだろうと思う。





何にどんな意味を求め、
それをどう受け取るか。


それはいつだって、
受けとった人の、心次第なんだろう。